あぶく、大きくなる、あぶく

海底から苦しまぎれに吐かれたあぶく。

※ただしイケメンに限る 

↑ 
この定型文本当に嫌い 
全てを顔のせいにして逃げてるだけ 

「結局、顔かよ~」←どうして中身ではオマエが勝ってることになってんだって話

http://monocarky.tumblr.com/post/71703502533/184-2011-11-11-19-37-05-94) 

 

 まとめブログからの引用のポスト。元のブログ記事は削除されている。

 

俺はこの「イケメンに限る」というのは、単純に分類のための条件づけでしかないと思っている。

すなわち水面である。その水面(イケメンに限る)より上は空(イケメン)でありそれより下は海中(非イケメン)である、というだけの。(水面に譬えてるだけに池面ってか)

上の発言では、さらに「(顔は)非イケメンだが、中身は優秀」というパターンを抜き出している。こうなると実際には4パターンあって

①顔はイケメンで、中身も優秀。
②顔はイケメンで、中身は残念。
③顔は非イケメン、中身は優秀。
④顔は非イケメン、中身も残念。

という分類があるはずなのだけれど、この発言からは①+②というイケメン属性だけの存在と、③の存在とだけが抜き出されていて、④の存在が無視されている。

敢えていうなら、俺は④に該当する。顔は無残であり、中身は推して知るべし。なにせはてななんかで書いてるんだから。

ともかく④である存在はこうして、ちゃんといるのだから、無視するのはいくない。

「イケメンに限る」というのは、「イケメン」と「非イケメン」 とに上下2分にするだけだとすれば、「中身」について言及するというのは、左右に2分するようなものだろう。

①┃②
━╋━ ←水面
③┃④

こんな具合だろうか。

さて、「イケメンに限る」という言葉は、この水面云々のたとえにおいては、「水面より上の空に限定される」ということだ。実際にはこの条件づけは、①からでも②からでも③からでも④からでもできる。ただもともとのイケメン云々での用法として、③ないし④の「程度の低いヤツが自分を謙遜していうほうがおもしろい」という場合がもっともレトリックとして含蓄が多くなるということはいえる。いわば「水中の魚が空の鳥を見上げて羨ましがってら、ばっかでえ」という笑いだね。逆にいえばイケメンが「ただしイケメンに限る」といったところで、「だからぁ?」と間抜けづらで返されるだけだ。むしろ嫌味になる。

そこで最初の発言「どうして中身は優秀だってことになってんだよ」という話なんだけれど、実のところ俺はこの「ただしイケメンに限る」という発言・ネタについて、「イケメンは顔がいいだけだけど、顔が悪い俺(たち)って実は性格イイんだもんね」なんて臭いは一度も嗅いだことがない。だからこそ、「え、顔がイイ悪いで条件づけしてるだけなのに、いつのまに中身のことまで条件づけしてることになってるの?」という疑問から、「それって深読みしすぎでは?」と思った次第でありまして。

とはいってみても、なんだかんだで③の「俺実は中身はイイから」と思ってる人はいくらかはいるだろう。0ではない。どれくらいかはわからないにしても。いってしまえば、上の引用元の発言をした人は、それまでの数多のネット書き込みからそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーという能力を有していて、それに対して俺はそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーに欠けていたといえる。そもそもそういう糞(フン)のようなくさい情報があったのかはわからないが、そういう臭いを感じてしまう鼻をもつ人にとってはその糞はあるのだろう。

もしそういう糞があったとして、その分析は社会学者的な人や、それになりきれずにネットで右往左往してる人に任せるとする。俺にはそこまでわかりません。ただ俺はそういう臭さを感じることはなかった、とはいいたくて。