あぶく、大きくなる、あぶく

海底から苦しまぎれに吐かれたあぶく。

クイズ気分で。

たまたま見たYahooニュース(「パクりはなぜいけないの?」 有名ブロガーの問いに人気ライターが応戦 (Wedge) - Yahoo!ニュース)にて、イケハヤ氏とヨッピー氏との応酬を見たので、ちょいと。
 
イケダハヤト氏の記事
 
ヨッピー氏の記事
 
イケダ氏の記事を要約して、それに対して意見を述べてみた。
 
 

イケダ氏の主張

1.「パクる」のはなぜいけないの?
 1-1.「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。
 1-2.「法律違反だからいけない」は幼稚な意見。
 
2.著作権者の利益になるパクリもある。
 2-1.「ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。」
 2-2.パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題。
 2-3.「あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。」
 2-4.「コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。」
  2-4-1.「パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。」
  2-4-2.「コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。」
 
3.外部の人間がどうこう言う話ではない。
 
 

 
 

1.「パクる」のはなぜいけないの? 

一連の記事を流し見した際に、Twitterで自己対話的にツイートしていたので、それを掲載することで、この質問への個人的な回答と代えておく。
 

 

(ここでの「まず殺されてみろ」は、イケダ氏にとっての「パクりで被害を受ける」に相当する。単に「パクられる」ではなく、被害を受ける段階まで含める。彼は被害を受けることを含めず「パクられる」ということへの否定を否定し、それへの批判者が「パクられて被害を受ける」ということを想定して反論すると、議論が噛み合わない)

 

 

 

 

 

自己対話的なものなので、やや話が右往左往しているのは容赦ねがいたい。

 

 

1-1.「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。

ここを「思考停止」と云うのは、ちょっと修辞的だよね。
 
法治国家である以上、法がダメと宣言していることはしちゃダメなのだ。
なぜか。すれば捕まるからである。
捕まるデメリットを挙げないといけないほど、日本人も馬鹿じゃないだろう。
まあ就職しづらくなったり家族も社会的制裁を受けたりするからね。
これは法治国家に住む以上、大前提なのだ。
「法がダメっていってることはしちゃダメ」。
 
この前提を踏まえた上で、「じゃあなぜ法を守らないといけないの?」という疑問が立つ。
これは法治国家に住むからこそ云えることで、非法治国家で提示する疑問ではない。
 
「なぜ人は他の動物に生をおびやかされないの?」という疑問は、実際におびやかされることのない場所で提示できる。アフリカの原野のような本当に殺されかねない場所では、そんな疑問は無価値でそれより「逃げろ」となる。
この「なぜ人は他の動物に生をおびやかされないの?」という疑問は、「では人間はどのように生を勝ち取るに至ったのでしょうか」とか「なぜ他の動物にはできなかったことを人間はなしとげたのでしょうか」という、教科書的な、もしくは学校的な、教育のおさらいに通じる。(ときおり納得せずにもっと深く潜ろうとする人がいるが、戻ってこなかったり結局わからなかったりするので、こうしたお座なりに終わりやすい)
 
そして「なぜ法を守らないといけないの?」という疑問も、「法は実は要らないのではないか?」という猜疑のためではなく、「どうして法は必要なのかおさらいしましょうねー」という修辞的な疑問である役割が大きい。
 
そういう復習としての意味合い以外で「なぜパクリはいけないか?」もとい「なぜ違法なことをしてはいけないか」という疑問を呈示するのなら、「どうぞ非法治国家へ」という応答になってしまう。(もしくは「てめえで考えろ」。)
そういう見地の違いを踏まえると、『「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。』と云うのは、「キミ、今までこんな根本的なこと考えたことなかったでしょ」という嘲笑や、純朴な読者の退路を遮って自分の誘導したい方向へと連行するようなものだ(はてブを純朴な人が見にくるかどうかは別の問題である)。
 
 

1-2.「法律違反だからいけない」は幼稚な意見。

上に同じく、法治国家に住む以上は模範的な意見であり、べつに「幼稚」ではない。
 
 

2.著作権者の利益になるパクリもある。

これはツイートにも載せた考えだが、「パクリ」という行為にはまず一次的に被害が生じる。つまりパクられると、一番最初には他のなによりも先だって被害が発生してしまう。もし「パクられることで利益が生じる」という可能性があるとしても、いつだってこの「一次的な被害」の後に生じる「二次以降の利益」にすぎない。
 
たとえばマンガをまるまるっと自炊したデータをネット上で公開して、アフィで利益を出しているサイトがあったとしよう。
ここでの著作権者は、もちろんマンガの作者である。パクっている人間はサイトの運営者だ。
一次的な被害は、そのマンガをそのサイトで読まれることで、純粋な「そのマンガを読む読者の絶対数」が減る。
読者の絶対数が減ると、もちろん購入者の絶対数も減る。すると印税が減る。
これが作者の「一次的な被害」に相当する。
逆の視点、サイトの運営者からすると、サイトを閲覧する読者の絶対数が増え、アフィの利益が増えるということで、これは「一次的な利益」と見なせたりする。
ここで「パクられることで出る利益」を考えると、そういったサイトから爆発的に人気が出て、おおもとのマンガにも人気の火がついたりするケースだろうか。
この「利益」が最初の「一次的な被害」を凌駕してこそ、「パクられて利益が出ることもある」と云える。
 
直近な例を想像してみたところ、「進撃の巨人」が「爆発的な人気が出た」作品だと思ったのだが、実際のところ進撃の巨人に「一次的な被害」があったのかどうかしらないので、これが不当な間違いだったら申し訳ない。
いずれにせよ、「進撃の巨人って俺らのおかげで流行ったよなー」とのたまうニコ動の一般ユーザーがいたりしたら、腹が立ったりするものではあるだろう。
 
この「パクられることで利益が出ることもある」の論点は、「じゃあその利益が出るケースは、被害が出るケースより覆いの?」という量の多寡にある。ごく一般的な感覚で考えてみると、「利益が出るケースって少ないよな」と思うのだが、データはないので「そういう論調を提示することもできる」ぐらいで引っ込めておく。
 
なので「著作権者の利益になるパクリもある。」は「確かに」と返せるが、「それはレアケースに過ぎない」と補文しないといけない。
ここで「いや、そんなことはない」と返すのは非論理的なので、気をつけられたし。
 
 

2-1.「ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。」

これはヨッピー氏の
イケダハヤトさんは「パクられても平気」って言うけど、
単純に貴方の著作物にはパクる価値が無いから不利益を被るような被害に遭ってないだけなのよ。
に同意。
別に買いたくない本をばらまきたくもないですし、ばらまかれても迷惑ですし。
こういうこと書くと、ばらまき方しってるように見えるな……。
ハッ! まさかそれが目的か!?
まあ、いいや……。
 

2-2.パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題。

これも「確かに」と俺は肯いた意見である。
ビジネスモデルによっては、パクられることで利益が出るケースが多い、というものもあるだろう。
 
でも炎上商法って、あれだよね、人に嫌われてナンボって感じだよね。
いい死に方しそうにないので、マネはしません。
 
あと「パクられて利益が出るビジネスモデル」 があるからといって、「パクられて損害が出るビジネスモデル」を消去できるわけではない。
 

2-3.「あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。」

赤信号 みんなで渡れば 怖くない
轢かれたヤツは トカゲのしっぽ
 
人の悪いとこを「当然」と見なした上でビジネスにいかすことができるとすれば、その人は賢いと思います。
ただそうして儲けた金で、なんの呵責もなく笑って過ごしている人は、友達にはほしくないです。
まあ、友達いないんですけどねー。
  

2-4.「コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。」 

これもやや「是」です。
コンビニやスーパーでの万引きは、盗られると商品はなくなって、盗んだ人の手に商品が渡るだけです。
ネット上のコンテンツの剽窃は、盗られても商品はなくならないし、もとのコンテンツと盗んだ人の手元とに増えます。
これは単純に概念の違いで、ネット上のコンテンツを剽窃されても痛くも痒くもなかったとしても、サーバーごと盗まれたらたまったもんじゃない、ということです。
 

2-4-1.「パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。」

ただ彼は、さっきの「元手が消えるか残るか」という話をしているのではなく、あくまでビジネスモデルの話に終始してますね。
彼の論調は、「波が来たら乗っかれー」っぽく聞こえたりはします。
「パクる波が来てるから、パクられる波に乗っかれー」ってね。
来る波来る波に合わせられるだけの頭を持ってるのなら、そうすることに問題はないと思います。
 
彼が成功しようがあまり関係ないのは、俺がどうなろうと彼に関係ないのと同様です。
別に彼のビジネスモデルに大して興味はないですし、さきほど「是」としたのは「万引きとネットコンテンツのパクリは違う」という箇所だけのことで、またその点への主張も彼とは違うので俺の「是」というのは、見当違い、すれ違い、って感じでしょうか。     
 

2-4-2.「コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。」

ちょっとこの補文が情けないかなー、と個人的に。
懐が狭いというか、逆にいえば人間味があるとかになるのかな。
 
「哲学ないのは要らない」というのは、さっきの俺の「そんなのは友達にほしくない」のような、それこそ幼稚な意見っぽく見えません?
それとも、ビジネスってそういうのなんですか? 
 

3.外部の人間がどうこう言う話ではない。

ブーメランですよね。
これはつきつめれば、「議題にするべきではない」ということです。
一般化・抽象化された「パクりとは」という概念にとりかかった時点で、被害者は架空の人物を想定するしかなく、俺も彼もあなたもどなたも、その被害者にはなりえないので、「外部の人間がどうこう言う話ではない」という原則にのっとると、『一般化・抽象化された「パクりとは」という議題は提示できない』という罠にはまりますよね。
だからテーマとしてとりあげて、かつ、これ云っちゃったら、ブーメランになっちまいます。
 
彼にとって、自分のコンテンツがパクられたときだけ、取り上げることができるわけです。
 
「私はこのリング上から床を取り払ったので、もう誰もぼくと対峙することはできない」ではなくて、「それ、あなたも立ってられないですよね」と云われてストンと落ちちゃってる感じ。
正々堂々と相手をリングに上げる心構えするか、もしくは皆一緒に底の抜けたリングを見ながら「なにしてんだろう……」と思うか、じゃないとね。
 
 
 

総括

彼の主張は、「俺の利益が守られてるパクりはOK」に過ぎないんだろうね。
「ぼくのビジネスモデルならパクられても利益が出る」→「利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいい」。だから臨機応変にやっていけよ、という論調なのであるが、皆が皆そうするわけにもいかない。逆に皆がそうしてしまえば、彼の利益も減ることだろう。だって他にもっとパクる価値のあるコンテンツが乱立するわけだもの。
 
この論調は、利己的と云うか、むしろ傍観者的に感じる。彼の主張は、「法が禁じることに本当に従う必要はあるのか?」といったような法学的な、もしくはそれこそ哲学的な話ではなく、「違法なことされてもこっちは利益出るんだから、別にいいじゃん」「法についてまともに考えたこともないヤツはついてこいよ」ぐらいのもんじゃなかろうか。
 
まあ、いいんじゃないですか。ソシャゲとか見てると、なんか似たような感じじゃないっすか。
利益でてるならいいんじゃない。こっちとしては寂寥感あるけど。関係ないよね、ってさ。
 
ビジネスの話になるのかわからないけど、ブログにある管理人の写真を見て「イラッ☆」とするのは、ビジネス哲学では二流かそれ以下ではないかと思う。
ビジネスというともはや「金を設ける」というだけの意味になっているが、それ以上に「まっとうである」というのはなにものにも代えがたい
もし本人がまっとうだと思えてるのなら、それはそれで救いなのかもしれないが。
 
ただホント、別にいいんだよ。二流がいても。
一流は二流より稀有なものさ。
 
 

 
 
続いて、ちょっとだけ「http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2014/09/01/125732」にも。
 
 
「例えば道端でひったくりがあったとするじゃん?
それがOKかNGかって言うとそれってひったくられた人本人が決める事じゃん?
ひょっとしたら処分に困ってたウンコを盗まれて喜んでるかも知れないし」
 
 
 
こういう事を言う人が居たら純度100パーセントのアホだよね?
これはまた違う話になってしまう。
なにせ著作権侵害は「親告罪」であるから。
ひったくり、つまり窃盗罪は親族間で発生したもの以外は、「非親告罪」。
 
つまり著作権を侵害することは、その権利をもってる人が「犯罪だー!」と云わないと罪として成立しない。
窃盗は、わざわざ云わなくても罪として成立する。家族に盗まれたときは、云わないと成立しない。
 
そういう意味では、殺人も非親告罪なので、俺がツイートした殺人云々も的外れなのである。
(あれは「まず自分が被害を受けてみよ」という反論を導くためのものであり、またイケダ氏の主張することへの自明的な反論になると思われる一例を挙げたのだが、的外れなのに変わりはない)
 
親告・非親告罪という点においては、イケダ氏の「あなたの著作物がパクられていますよ」と著作権者に教えるのが最良の解になる」のほうが、おそらくずっと正しい。著作権所有者が訴えない限りは、ただ悶々とする以外にはないんだから(著作権所有者が訴えたとして、「悶々」が晴れるとは誰も保証していないが)。
 
 
前述の剛くんのケースみたいに、価値のあるコンテンツを生み出せる人は、それこそ雨後の筍みたいにボッコボコぱくられるわけですよ。
もちろん周りの人達は剛くんに「パクられてますよ!」って教えてくれてるし、
剛くんもそこで通報したりとなんだかんだ対応するけど、まったくもって追い付かないレベルで現れるんだって。
 
ここにおいては、俺はなにも云えない。
だってその苦労しらないんだもの。
それにTwitterのRTとかTumblrとか、むしろたぶん俺はこういった剽窃によってなんらかの利益を受けている人間だろうから。
 
この潮流に対して、「呑まれるのはなんだかなー」とか「不利益こうむらない内は……」と思っている人間でもある。
「どうにかしてほしいよな」とは思いつつなんの策も浮かばない程度の人間でもあるから。
 
 

 
今回このように書いたのは、別に「はい論破」のような反論をしたかったわけではない。
もとよりイケダ氏の文を読んだこともないし、ヨッピー氏のも同様であって、単に「どうしてもパクリが許せない方は、ぜひその理由を教えてください。」という一文に対して、「おう、じゃいっちょ!」と思っただけの経緯に過ぎない。
「パクり」という行為に関しても、猜疑心は常々もっているが、なんでもかんでも「これパクりだ!」「パクりは悪だ!」「悪即斬!」という思考をもっているわけではない。
とはいえ、読んだことのないブログの管理人に対して少なからぬ疑心を抱いているのは、確実に、そして多分に、外野の意見に影響されているはず。こういう見解もある、ぐらいで見てもらえれば幸いかもしれないかも。
 
いやー、ひさしぶりに長文書いた。そういう意欲に駆らせてもらえたという意味では、両者にさんきゅーと云いたいです。