あぶく、大きくなる、あぶく

海底から苦しまぎれに吐かれたあぶく。

クイズ気分で。

たまたま見たYahooニュース(「パクりはなぜいけないの?」 有名ブロガーの問いに人気ライターが応戦 (Wedge) - Yahoo!ニュース)にて、イケハヤ氏とヨッピー氏との応酬を見たので、ちょいと。
 
イケダハヤト氏の記事
 
ヨッピー氏の記事
 
イケダ氏の記事を要約して、それに対して意見を述べてみた。
 
 

イケダ氏の主張

1.「パクる」のはなぜいけないの?
 1-1.「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。
 1-2.「法律違反だからいけない」は幼稚な意見。
 
2.著作権者の利益になるパクリもある。
 2-1.「ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。」
 2-2.パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題。
 2-3.「あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。」
 2-4.「コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。」
  2-4-1.「パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。」
  2-4-2.「コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。」
 
3.外部の人間がどうこう言う話ではない。
 
 

 
 

1.「パクる」のはなぜいけないの? 

一連の記事を流し見した際に、Twitterで自己対話的にツイートしていたので、それを掲載することで、この質問への個人的な回答と代えておく。
 

 

(ここでの「まず殺されてみろ」は、イケダ氏にとっての「パクりで被害を受ける」に相当する。単に「パクられる」ではなく、被害を受ける段階まで含める。彼は被害を受けることを含めず「パクられる」ということへの否定を否定し、それへの批判者が「パクられて被害を受ける」ということを想定して反論すると、議論が噛み合わない)

 

 

 

 

 

自己対話的なものなので、やや話が右往左往しているのは容赦ねがいたい。

 

 

1-1.「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。

ここを「思考停止」と云うのは、ちょっと修辞的だよね。
 
法治国家である以上、法がダメと宣言していることはしちゃダメなのだ。
なぜか。すれば捕まるからである。
捕まるデメリットを挙げないといけないほど、日本人も馬鹿じゃないだろう。
まあ就職しづらくなったり家族も社会的制裁を受けたりするからね。
これは法治国家に住む以上、大前提なのだ。
「法がダメっていってることはしちゃダメ」。
 
この前提を踏まえた上で、「じゃあなぜ法を守らないといけないの?」という疑問が立つ。
これは法治国家に住むからこそ云えることで、非法治国家で提示する疑問ではない。
 
「なぜ人は他の動物に生をおびやかされないの?」という疑問は、実際におびやかされることのない場所で提示できる。アフリカの原野のような本当に殺されかねない場所では、そんな疑問は無価値でそれより「逃げろ」となる。
この「なぜ人は他の動物に生をおびやかされないの?」という疑問は、「では人間はどのように生を勝ち取るに至ったのでしょうか」とか「なぜ他の動物にはできなかったことを人間はなしとげたのでしょうか」という、教科書的な、もしくは学校的な、教育のおさらいに通じる。(ときおり納得せずにもっと深く潜ろうとする人がいるが、戻ってこなかったり結局わからなかったりするので、こうしたお座なりに終わりやすい)
 
そして「なぜ法を守らないといけないの?」という疑問も、「法は実は要らないのではないか?」という猜疑のためではなく、「どうして法は必要なのかおさらいしましょうねー」という修辞的な疑問である役割が大きい。
 
そういう復習としての意味合い以外で「なぜパクリはいけないか?」もとい「なぜ違法なことをしてはいけないか」という疑問を呈示するのなら、「どうぞ非法治国家へ」という応答になってしまう。(もしくは「てめえで考えろ」。)
そういう見地の違いを踏まえると、『「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。』と云うのは、「キミ、今までこんな根本的なこと考えたことなかったでしょ」という嘲笑や、純朴な読者の退路を遮って自分の誘導したい方向へと連行するようなものだ(はてブを純朴な人が見にくるかどうかは別の問題である)。
 
 

1-2.「法律違反だからいけない」は幼稚な意見。

上に同じく、法治国家に住む以上は模範的な意見であり、べつに「幼稚」ではない。
 
 

2.著作権者の利益になるパクリもある。

これはツイートにも載せた考えだが、「パクリ」という行為にはまず一次的に被害が生じる。つまりパクられると、一番最初には他のなによりも先だって被害が発生してしまう。もし「パクられることで利益が生じる」という可能性があるとしても、いつだってこの「一次的な被害」の後に生じる「二次以降の利益」にすぎない。
 
たとえばマンガをまるまるっと自炊したデータをネット上で公開して、アフィで利益を出しているサイトがあったとしよう。
ここでの著作権者は、もちろんマンガの作者である。パクっている人間はサイトの運営者だ。
一次的な被害は、そのマンガをそのサイトで読まれることで、純粋な「そのマンガを読む読者の絶対数」が減る。
読者の絶対数が減ると、もちろん購入者の絶対数も減る。すると印税が減る。
これが作者の「一次的な被害」に相当する。
逆の視点、サイトの運営者からすると、サイトを閲覧する読者の絶対数が増え、アフィの利益が増えるということで、これは「一次的な利益」と見なせたりする。
ここで「パクられることで出る利益」を考えると、そういったサイトから爆発的に人気が出て、おおもとのマンガにも人気の火がついたりするケースだろうか。
この「利益」が最初の「一次的な被害」を凌駕してこそ、「パクられて利益が出ることもある」と云える。
 
直近な例を想像してみたところ、「進撃の巨人」が「爆発的な人気が出た」作品だと思ったのだが、実際のところ進撃の巨人に「一次的な被害」があったのかどうかしらないので、これが不当な間違いだったら申し訳ない。
いずれにせよ、「進撃の巨人って俺らのおかげで流行ったよなー」とのたまうニコ動の一般ユーザーがいたりしたら、腹が立ったりするものではあるだろう。
 
この「パクられることで利益が出ることもある」の論点は、「じゃあその利益が出るケースは、被害が出るケースより覆いの?」という量の多寡にある。ごく一般的な感覚で考えてみると、「利益が出るケースって少ないよな」と思うのだが、データはないので「そういう論調を提示することもできる」ぐらいで引っ込めておく。
 
なので「著作権者の利益になるパクリもある。」は「確かに」と返せるが、「それはレアケースに過ぎない」と補文しないといけない。
ここで「いや、そんなことはない」と返すのは非論理的なので、気をつけられたし。
 
 

2-1.「ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。」

これはヨッピー氏の
イケダハヤトさんは「パクられても平気」って言うけど、
単純に貴方の著作物にはパクる価値が無いから不利益を被るような被害に遭ってないだけなのよ。
に同意。
別に買いたくない本をばらまきたくもないですし、ばらまかれても迷惑ですし。
こういうこと書くと、ばらまき方しってるように見えるな……。
ハッ! まさかそれが目的か!?
まあ、いいや……。
 

2-2.パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題。

これも「確かに」と俺は肯いた意見である。
ビジネスモデルによっては、パクられることで利益が出るケースが多い、というものもあるだろう。
 
でも炎上商法って、あれだよね、人に嫌われてナンボって感じだよね。
いい死に方しそうにないので、マネはしません。
 
あと「パクられて利益が出るビジネスモデル」 があるからといって、「パクられて損害が出るビジネスモデル」を消去できるわけではない。
 

2-3.「あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。」

赤信号 みんなで渡れば 怖くない
轢かれたヤツは トカゲのしっぽ
 
人の悪いとこを「当然」と見なした上でビジネスにいかすことができるとすれば、その人は賢いと思います。
ただそうして儲けた金で、なんの呵責もなく笑って過ごしている人は、友達にはほしくないです。
まあ、友達いないんですけどねー。
  

2-4.「コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。」 

これもやや「是」です。
コンビニやスーパーでの万引きは、盗られると商品はなくなって、盗んだ人の手に商品が渡るだけです。
ネット上のコンテンツの剽窃は、盗られても商品はなくならないし、もとのコンテンツと盗んだ人の手元とに増えます。
これは単純に概念の違いで、ネット上のコンテンツを剽窃されても痛くも痒くもなかったとしても、サーバーごと盗まれたらたまったもんじゃない、ということです。
 

2-4-1.「パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。」

ただ彼は、さっきの「元手が消えるか残るか」という話をしているのではなく、あくまでビジネスモデルの話に終始してますね。
彼の論調は、「波が来たら乗っかれー」っぽく聞こえたりはします。
「パクる波が来てるから、パクられる波に乗っかれー」ってね。
来る波来る波に合わせられるだけの頭を持ってるのなら、そうすることに問題はないと思います。
 
彼が成功しようがあまり関係ないのは、俺がどうなろうと彼に関係ないのと同様です。
別に彼のビジネスモデルに大して興味はないですし、さきほど「是」としたのは「万引きとネットコンテンツのパクリは違う」という箇所だけのことで、またその点への主張も彼とは違うので俺の「是」というのは、見当違い、すれ違い、って感じでしょうか。     
 

2-4-2.「コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。」

ちょっとこの補文が情けないかなー、と個人的に。
懐が狭いというか、逆にいえば人間味があるとかになるのかな。
 
「哲学ないのは要らない」というのは、さっきの俺の「そんなのは友達にほしくない」のような、それこそ幼稚な意見っぽく見えません?
それとも、ビジネスってそういうのなんですか? 
 

3.外部の人間がどうこう言う話ではない。

ブーメランですよね。
これはつきつめれば、「議題にするべきではない」ということです。
一般化・抽象化された「パクりとは」という概念にとりかかった時点で、被害者は架空の人物を想定するしかなく、俺も彼もあなたもどなたも、その被害者にはなりえないので、「外部の人間がどうこう言う話ではない」という原則にのっとると、『一般化・抽象化された「パクりとは」という議題は提示できない』という罠にはまりますよね。
だからテーマとしてとりあげて、かつ、これ云っちゃったら、ブーメランになっちまいます。
 
彼にとって、自分のコンテンツがパクられたときだけ、取り上げることができるわけです。
 
「私はこのリング上から床を取り払ったので、もう誰もぼくと対峙することはできない」ではなくて、「それ、あなたも立ってられないですよね」と云われてストンと落ちちゃってる感じ。
正々堂々と相手をリングに上げる心構えするか、もしくは皆一緒に底の抜けたリングを見ながら「なにしてんだろう……」と思うか、じゃないとね。
 
 
 

総括

彼の主張は、「俺の利益が守られてるパクりはOK」に過ぎないんだろうね。
「ぼくのビジネスモデルならパクられても利益が出る」→「利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいい」。だから臨機応変にやっていけよ、という論調なのであるが、皆が皆そうするわけにもいかない。逆に皆がそうしてしまえば、彼の利益も減ることだろう。だって他にもっとパクる価値のあるコンテンツが乱立するわけだもの。
 
この論調は、利己的と云うか、むしろ傍観者的に感じる。彼の主張は、「法が禁じることに本当に従う必要はあるのか?」といったような法学的な、もしくはそれこそ哲学的な話ではなく、「違法なことされてもこっちは利益出るんだから、別にいいじゃん」「法についてまともに考えたこともないヤツはついてこいよ」ぐらいのもんじゃなかろうか。
 
まあ、いいんじゃないですか。ソシャゲとか見てると、なんか似たような感じじゃないっすか。
利益でてるならいいんじゃない。こっちとしては寂寥感あるけど。関係ないよね、ってさ。
 
ビジネスの話になるのかわからないけど、ブログにある管理人の写真を見て「イラッ☆」とするのは、ビジネス哲学では二流かそれ以下ではないかと思う。
ビジネスというともはや「金を設ける」というだけの意味になっているが、それ以上に「まっとうである」というのはなにものにも代えがたい
もし本人がまっとうだと思えてるのなら、それはそれで救いなのかもしれないが。
 
ただホント、別にいいんだよ。二流がいても。
一流は二流より稀有なものさ。
 
 

 
 
続いて、ちょっとだけ「http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2014/09/01/125732」にも。
 
 
「例えば道端でひったくりがあったとするじゃん?
それがOKかNGかって言うとそれってひったくられた人本人が決める事じゃん?
ひょっとしたら処分に困ってたウンコを盗まれて喜んでるかも知れないし」
 
 
 
こういう事を言う人が居たら純度100パーセントのアホだよね?
これはまた違う話になってしまう。
なにせ著作権侵害は「親告罪」であるから。
ひったくり、つまり窃盗罪は親族間で発生したもの以外は、「非親告罪」。
 
つまり著作権を侵害することは、その権利をもってる人が「犯罪だー!」と云わないと罪として成立しない。
窃盗は、わざわざ云わなくても罪として成立する。家族に盗まれたときは、云わないと成立しない。
 
そういう意味では、殺人も非親告罪なので、俺がツイートした殺人云々も的外れなのである。
(あれは「まず自分が被害を受けてみよ」という反論を導くためのものであり、またイケダ氏の主張することへの自明的な反論になると思われる一例を挙げたのだが、的外れなのに変わりはない)
 
親告・非親告罪という点においては、イケダ氏の「あなたの著作物がパクられていますよ」と著作権者に教えるのが最良の解になる」のほうが、おそらくずっと正しい。著作権所有者が訴えない限りは、ただ悶々とする以外にはないんだから(著作権所有者が訴えたとして、「悶々」が晴れるとは誰も保証していないが)。
 
 
前述の剛くんのケースみたいに、価値のあるコンテンツを生み出せる人は、それこそ雨後の筍みたいにボッコボコぱくられるわけですよ。
もちろん周りの人達は剛くんに「パクられてますよ!」って教えてくれてるし、
剛くんもそこで通報したりとなんだかんだ対応するけど、まったくもって追い付かないレベルで現れるんだって。
 
ここにおいては、俺はなにも云えない。
だってその苦労しらないんだもの。
それにTwitterのRTとかTumblrとか、むしろたぶん俺はこういった剽窃によってなんらかの利益を受けている人間だろうから。
 
この潮流に対して、「呑まれるのはなんだかなー」とか「不利益こうむらない内は……」と思っている人間でもある。
「どうにかしてほしいよな」とは思いつつなんの策も浮かばない程度の人間でもあるから。
 
 

 
今回このように書いたのは、別に「はい論破」のような反論をしたかったわけではない。
もとよりイケダ氏の文を読んだこともないし、ヨッピー氏のも同様であって、単に「どうしてもパクリが許せない方は、ぜひその理由を教えてください。」という一文に対して、「おう、じゃいっちょ!」と思っただけの経緯に過ぎない。
「パクり」という行為に関しても、猜疑心は常々もっているが、なんでもかんでも「これパクりだ!」「パクりは悪だ!」「悪即斬!」という思考をもっているわけではない。
とはいえ、読んだことのないブログの管理人に対して少なからぬ疑心を抱いているのは、確実に、そして多分に、外野の意見に影響されているはず。こういう見解もある、ぐらいで見てもらえれば幸いかもしれないかも。
 
いやー、ひさしぶりに長文書いた。そういう意欲に駆らせてもらえたという意味では、両者にさんきゅーと云いたいです。

2→□→6→8→10

827 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:36:49.37 id:jO6QJfut0 

2→□→6→8→10 

□に入る数字は? 

文系:4 

理系:決定できない 

 

 

  

832 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:39:54.22 id:uwqug4Yv0 

2→□→6→8→10→12 

なら4で良いんだけどな 

 

  

 

843 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:58:19.22 ID:2XzBVuX+0 

»827ってなんで決定できないの? 

 

 

 

859 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:07:49.61 ID:V/dzQsUzO 

»843 

y=(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x 

という4次方程式がある。 

この時、Xを1、2、3、4、5をそれぞれ代入した時、yの値はどうなるか? 

みたいな問題の場合は4ではなく-2になる 

 

 

 

861 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:08:55.95 id:o13Gzkpu0 

»859 

感動した 

 

 

 

865 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:12:16.37 id:dxICRPrN0 

»859 

 

具体例wwwwwwww乙wwwwwww

(http://monocarky.tumblr.com/post/75011673560/827-vip-2010-07-25)

 

 

 

この式、なんとなくタネが見えた。

 

最初の

 2→□→6→8→10

は変形させると、

 x=1のとき、y=2,

 x=2のとき、y=?,

 x=3のとき、y=6,

 x=4のとき、y=8,

 x=5のとき、y=10

ということだよね。

 

そこで当の式の右辺をみてみる。

 

 (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x

 

実際にxに数を代入すると、

 

 x=1のとき、

 y=0*(-2)*(-3)*(-4)+2

  =0+2

 よってy=2

 

 x=3のとき、

 y=2*0*(-1)*(-2)+6

  =0+6

 よってy=6

 

 x=4のとき、

 y=3*1*0*(-1)+8

  =0+8

 よってy=8

 

 x=5のとき、

 y=4*2*1*0+10

  =0+10

 よってy=10

 

ここまで見れば、気づく人もいるだろう。

上の実際に代入した結果の要所をまとめると、

 x=1のとき、y=0+2

 x=3のとき、y=0+6

 x=4のとき、y=0+8

 x=5のとき、y=0+10

であり、式の右辺 (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x は2つに分割できる。

 

すなわち

 (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)   ……仮にαと呼ぶ

 2x         ……仮にβと呼ぶ。

である。

 

こうすると右辺は α+β と表記できるが、

xに1,3,4,5を代入したとき、いずれもα=0となり、

βの箇所だけが計算結果として残留する。

しかしx=2を代入すると、

 y=(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x

  =1*(-1)*(-2)*(-3)+4

  =-6+4

  =-2

となる。

この場合は、αである (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x が、0になって消えることがない。

 

この式は当初 2→□→6→8→10 を、低い順に偶数を並べたものだと思わせ、

伏せ字部分に2を入れるようミスリードした問題だった。

偶数の 2,4,6,8,10…… と続く数字は y=2x で表せる。

つまりこれがβの 2x である。

 

伏せ字にされていない箇所を 2x の式、つまり偶数の配列にしておきつつ、

伏せ字にしてあるx=2のときだけ 2x にならない式をつくる「一例」が、

 (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x

ということなんだろう。

αである (x-1)(x-3)(x-4)(x-5) は、どれも掛け算なので、

カッコのなかのどこかが0になれば、いつでもαは0になる。

 

これを応用すると、別の問題も簡単につくれる。

 

 1, 2, □, 4, 5, 6, 7

 

短絡的に考えるなら、伏せ字の□部分は3が入ると考えるだろう。

だが、

 y=(x-1)(x-2)(x-4)(x-5)(x-6)(x-7)+x

 

これでひっかけ問題がつくれる。

 

x=3のとき、

y=2*1*(-1)*(-2)*(-3)*(-4)+3

 =48+3

 =51

 

と、ぜんぜん脈絡のない数字がポンと出てくる。

 

こういった式のつくりかたをみてみると、

最初の引用文にあった文系・理系の分類はたいしてあてにならず、

「ひっかけとしてこしらえられた式があると事前に知っているか否か」ぐらいに過ぎない。

 

 


 

ちなみに、膨大な式だってつくれる。

 

 100, 81, 64, 49, 36, 25, 16, 9, 4, 1, □, 1, 4, 9, 16, 25, 36, 49, 64, 81, 100

 

この並びで、伏せ字部分を欺くには、

 

y=x(x-1)(x-2)(x-3)(x-4)(x-5)(x-6)(x-7)(x-8)(x-9)(x-11)(x-12)(x-13)(x-14)(x-15)(x-16)(x-17)(x-18)(x-19)(x-20)+(x^2-20x+100)

 

という式でいい。

 

ちなみにx=10のとき y=1316818944000 というヘンテコな数が出てくる。

 

Googleさんで計算してみたら、「1.3168189e+12」なんて数が出てきたので、地道な手打ちで計算しました。ミスあったらすんません)

 

 

こんな感じで、穴埋め問題にしておきながら大方の予想をくつがえす答えを用意することは、難しくはないし、理論上どこまでも大きくできる。最大の難問は「どこまで余白を用意できるか」であるだけで。

 

それを「文系はわからない、理系はわかる」という結論にミスリードするのは荒唐無稽。

引用元のまとめブログは流し見したが、あんまり煽りの意味もないのにね。

結論が 煽りというのは下らないよ。

実名・匿名と責任

いささか古いポストだが、こんなquoteが流れてきた。

 

・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。

 

・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活と容易に結び付けられる発言をしている人、そうでない人、それぞれ実名匿名のリスクは異なる。

 

・つまり、「実名か匿名か」という問題は議論の本質ではない。実名であっても無責任な発言をする人はいるし、匿名であっても失うものを持ち、責任ある発言をしている人はいる。

 

・匿名性と「無責任な発言」というものが無条件に結び付けられる土台、というものがどこかにあると思う。

 

・で、その土台を形成した主要な要因は、多分古き2ちゃんねるに代表される、匿名掲示板に対するイメージだと思う。ネットといえば2ちゃん、2ちゃんといえば匿名での無責任な書き込み、というような連想が残留している人は多分いて、そういう人にとっては未だに「匿名であること」が攻撃対象になる。(これは飽くまで構図であって、実際に2ちゃんを意識しているかどうかとはあんまり関係がない)

 

・ただ、「2ちゃん的なあり方」というのはもうかなり前からWebの主要なシーンではなくなってきていて、「実名/匿名」という軸と「責任/無責任」という軸は、ソーシャルメディアの発展と共にとうの昔に分離していると思える。

 

・端的にいうと、「2ちゃん的なもの」ニアリイコール「匿名性と無責任な発言の結合」というものがネットの象徴である時代は、とうの昔に終わった。匿名性がWebの最大の特徴であった時代は、既に終わった。

 

・名前というのはネット上の人格の数ある属性の一つでしかなく、実名だろうと匿名だろうとたいして関係はない。リスクがあるという意味では、一般人の実名が露見するよりも、使用している複数のWebサービスのIDや位置情報、住所等が横断的にバれた方がよほどリスクがでかい。

 

・上記の諸々とは別に、「実名で過ごすメリットデメリット、匿名で過ごすメリットデメリット」というのは勿論あると思う。ただそれは、批判するしないの話ではなく、単にどちらを選択するか、というだけの話だ。

 

 

あれ、言いたいことを大体言ってしまったぞ。

 

 

 

一言で私の感じた違和感をまとめてしまうと、「一体いつまで「2ちゃん的なもの」を匿名の象徴みたいに考えてるんだ」ということ、だと思う。批判するなら無責任な発言の方であって、匿名性ではないだろう、と。

(http://monocarky.tumblr.com/post/73528201083)

 

(元記事:今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城

 

 

元記事のタイトルにあるように、ネットでの実名/匿名というものに関する話題なのだが、妙にしっくりこなかったので。

 

考えをまとめてしまうと、もう、ひとつの文だけで終わってしまった。

 

「責任をどう追及するかではなく、どう帰着させるか」

 

要は「実名だから発言の責任を問いやすい、匿名だから問いにくい」というところではなく、「実名だとリアルの生活に繋がってるので責任を当人に帰着させやすい、匿名だと逃げられるから責任を帰着させにくい」というところなんでないの、と。

 

これは元記事の『実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。』をちょっと概念上げて批判した意見であり、かつ『「実名か匿名か」という問題は議論の本質ではない』を踏襲させてもらった意見でもある。

 

 


 

 

 実は論旨である「匿名/実名」というものもさりながら、書き出しの『「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった』という文が気になった。

うん、これって煽りだよね。

おそらく俺の見地でしかないが、こういうのは「時代が終わった」というほど一時代を築いていない。こういうのは「オワコン」と同じで、「俺が終わりを宣言してやったぜ」という快感とことによると「お前らまだこんなこと気づいてなかったの?」という見下ろす視点がありそうでさ。

時代に似た言葉をとりいれるなら、「次の世代に移った」とかさ。「○○は終わった」よりも「次は□□」のほうが建設的でしょ。

まあアレだ、揚げ足取りに見えるなら無視しておくれ。

 

ともかく、そういうのをあえて踏まえて私見を述べると、もうすでに「責任を正しく追及する」という時期ではなく、「責任を巧く負わせた者勝ち」というルールに発展してきてると思う(というかそもそもそんな時期・時代はあったんだろうか?)。

顕著なのが、Twitterでの軽犯罪者叩き。Twitterはバカ発見器といわれてるが、その「バカ」を発見して叩く、すなわち罪の軽重にかかわらず責めれば勝ち、ちなみに罪は罪で責任はお前にあるので叩かれるのを批判する権利はない、といった具合に。

もっといえば、Twitterでのバカ叩きも古い。すでに次のステージに移ってる可能性は大いにあるのだけれどね。

形容されていない未来

 

これだけは覚えておきなさい。

何もかも失ったと思える瞬間でさえ、

あなたの未来は残っているということを。

 

(ボブ・ガダード アメリカの作家)

 

dsbdに流れてきたポストから。

(http://monocarky.tumblr.com/post/72732670799)

 

なんかアメリカ人らしいな、と思う文章だけど、これを信じる人は、手塚治虫の「火の鳥 望郷編」を読んでなお同じことを信じられる人だけが語っていいと思う。孤独な惑星で夫が死んでしまった未亡人が、自分の息子と、ひいては孫と子供をつくっていくって話ね。上の文の「あなたの未来」には「あなたの」以外に形容している言葉がないけど、それがどんな悲惨なものであれ、まあ未来は未来だよね、っていう。

核で人類のほとんどが死滅して、生き残ったのはあなたと、後は見るも無残な容姿と性格の異性ひとりずつだけだったとき、それでもその未来を、「未来が残っている」と認識できる人だけ、ってね。

 

ちなみに「ボブ・ガダード アメリカの作家」の言葉とされているけど、軽くググってみると、どうやらロケット研究者の「ロバート・ハッチングズ・ゴダード」ではないかしらん、という疑いがありますよん。

 

 (ロバート・ゴダード - Wikipedia)

 

 

 

 

 

 


 

(以下、ググった道順。 )

 

これだけは覚えておきなさい。

何もかも失ったと思える瞬間でさえ、

あなたの未来は残っているということを。

 

(ボブ・ガダード アメリカの作家)

(http://monocarky.tumblr.com/post/72732670799)

 

 

 ググってみると、以下の文が出てきた。

 

これだけは、覚えておきなさい。

何もかも失ったと思える瞬間でさえ、

あなたの未来は残っているということを。

(英語)

Just remember -

when you think all is lost,

the future remains.

 

(ボブ・ガダード)

(失恋の名言集 - 別れを受け入れる)

 

 

この英文をさらにググると、英語ページだけどこんなのが。

 

“Just remember - when you think all is lost, the future remains”

  Dr. Robert H. Goddard quotes (American rocket engineer 1882-1945)

(Dr. Robert H. Goddard quotes)

 

 

上の「Dr. Robert H. Goddard」という人名でググると、

英語のwikipediaの項目に辿り着き、そこから日本語へ行ける。

  

(ロバート・ゴダード - Wikipedia)

 

 

ちなみにロバート・ゴダード(Robert Goddard)という氏名で、名の知れた人は何人かいるようで、英語のwikipediaに曖昧さ回避のページがあった(Robert Goddard (disambiguation) - Wikipedia)。

例の「Just remember」から始まる英文でググったときに出てくるページをいろいろ見てみると、多くが「Robert H. Goddard」となっている。推理小説家のロバート・ゴダードはいるものの、「Robert Francis Goddard」という名前のよう(ロバート・ゴダード (作家) - Wikipedia)なので、HではなくFになってしまう。同じロバート・ゴダードに、「Robert Hutchings Goddard」というロケット研究者がいる。ページによっては、「American rocket engineer 1882-1945」と書いてあり、アメリカのロケット研究者である記述がみられる。ググるだけなら「Anonymous(詠み人知らず)」や「B. Goddard」というものも見つけられる(参照)。最初のポストの「ボブ・ガダード」のように「B」の「ロバート・ゴダード」は、曖昧さ回避のページにも掲載がなく、よくわからなかった。暫定的には「ロバート・ハッチングズ・ゴダード」の句だと思われるが、可能性にすぎないやね。

 

 という辿り方でしたとさ。

※ただしイケメンに限る 

↑ 
この定型文本当に嫌い 
全てを顔のせいにして逃げてるだけ 

「結局、顔かよ~」←どうして中身ではオマエが勝ってることになってんだって話

http://monocarky.tumblr.com/post/71703502533/184-2011-11-11-19-37-05-94) 

 

 まとめブログからの引用のポスト。元のブログ記事は削除されている。

 

俺はこの「イケメンに限る」というのは、単純に分類のための条件づけでしかないと思っている。

すなわち水面である。その水面(イケメンに限る)より上は空(イケメン)でありそれより下は海中(非イケメン)である、というだけの。(水面に譬えてるだけに池面ってか)

上の発言では、さらに「(顔は)非イケメンだが、中身は優秀」というパターンを抜き出している。こうなると実際には4パターンあって

①顔はイケメンで、中身も優秀。
②顔はイケメンで、中身は残念。
③顔は非イケメン、中身は優秀。
④顔は非イケメン、中身も残念。

という分類があるはずなのだけれど、この発言からは①+②というイケメン属性だけの存在と、③の存在とだけが抜き出されていて、④の存在が無視されている。

敢えていうなら、俺は④に該当する。顔は無残であり、中身は推して知るべし。なにせはてななんかで書いてるんだから。

ともかく④である存在はこうして、ちゃんといるのだから、無視するのはいくない。

「イケメンに限る」というのは、「イケメン」と「非イケメン」 とに上下2分にするだけだとすれば、「中身」について言及するというのは、左右に2分するようなものだろう。

①┃②
━╋━ ←水面
③┃④

こんな具合だろうか。

さて、「イケメンに限る」という言葉は、この水面云々のたとえにおいては、「水面より上の空に限定される」ということだ。実際にはこの条件づけは、①からでも②からでも③からでも④からでもできる。ただもともとのイケメン云々での用法として、③ないし④の「程度の低いヤツが自分を謙遜していうほうがおもしろい」という場合がもっともレトリックとして含蓄が多くなるということはいえる。いわば「水中の魚が空の鳥を見上げて羨ましがってら、ばっかでえ」という笑いだね。逆にいえばイケメンが「ただしイケメンに限る」といったところで、「だからぁ?」と間抜けづらで返されるだけだ。むしろ嫌味になる。

そこで最初の発言「どうして中身は優秀だってことになってんだよ」という話なんだけれど、実のところ俺はこの「ただしイケメンに限る」という発言・ネタについて、「イケメンは顔がいいだけだけど、顔が悪い俺(たち)って実は性格イイんだもんね」なんて臭いは一度も嗅いだことがない。だからこそ、「え、顔がイイ悪いで条件づけしてるだけなのに、いつのまに中身のことまで条件づけしてることになってるの?」という疑問から、「それって深読みしすぎでは?」と思った次第でありまして。

とはいってみても、なんだかんだで③の「俺実は中身はイイから」と思ってる人はいくらかはいるだろう。0ではない。どれくらいかはわからないにしても。いってしまえば、上の引用元の発言をした人は、それまでの数多のネット書き込みからそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーという能力を有していて、それに対して俺はそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーに欠けていたといえる。そもそもそういう糞(フン)のようなくさい情報があったのかはわからないが、そういう臭いを感じてしまう鼻をもつ人にとってはその糞はあるのだろう。

もしそういう糞があったとして、その分析は社会学者的な人や、それになりきれずにネットで右往左往してる人に任せるとする。俺にはそこまでわかりません。ただ俺はそういう臭さを感じることはなかった、とはいいたくて。

ネットで他人の批判ばかりしている人は、生活が充実してないとか、バカの一つ覚えみたいなことばかり書いていて、そうやって自己防衛してるんだねーと思いました

http://monocarky.tumblr.com/post/71701480687

 

「ネットで他人の批判をしている人は○○である」という発言は、その発言自体が批判と捉えられうるので、「ネットで他人の批判している人は○○である。発言者である私を含めて」という意になるんじゃないかな、ネットで発言する限りは。

あと自己防衛という言葉は、誇大解釈すればなんにでも適用できちゃう危険性が。「あの人は、自分の生活を守るという自己防衛のために動いている」といえば、誰に対してでもネガキャンできるっぽいんだよね。

あのマンガを読むのも、あのアニメを見るのも、あのゲームで遊ぶのも、あの動画を見るのも、あのブログを見るのも、ぜんぶ自分の価値観を守るっていう自己防衛のためなんでしょ? こういうのは「いや、そうじゃないよ」って拒絶する側が「じゃ証明してみせてよ」と言われて苦心させられる悪魔の証明みたいなもんだし。

「あ、あいつ自己防衛してるな」と自分が考えたときは、もしかすると思考停止して相手をおとしめて自己保身に走っている可能性を危惧しないといけないかもしれないね。

 

ちなみにこの俺の発言は、ネット上でなされており、かつ批判だと明言するものであり、かつ俺自身の自己防衛・自己保身のためで”ない”という証明がなく、またその証明に労力をさくつもりがないことを明示しておく。

 

(というかそもそも批判と否定と中傷とを明確に使い分けられてる人って少ないよね)