クイズ気分で。
イケダ氏の主張
1.「パクる」のはなぜいけないの?
「パクリがなぜいけないか?」の答えは、「著作権所有者の利益を損なうから」だよなあ。これが一次的なもので、「パクることで利益が出ることもある」ってのは二次以降の次元。パクられることでの損益を比較すると損のほうが大きい、と容易に考えうるから「パクりはダメ」なんでないの?
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
「パクられても利益出ることもある」ってのは、「死が救いになることもある(苦痛から解放する)」、だから「殺人が救いになることもある」と肯定するようなもんでしょう。それへの容易な批判は「まず殺されてみろ」だよなあ。メリットとデメリットを錯誤させてるからたぶん議論にならんよ。
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
(ここでの「まず殺されてみろ」は、イケダ氏にとっての「パクりで被害を受ける」に相当する。単に「パクられる」ではなく、被害を受ける段階まで含める。彼は被害を受けることを含めず「パクられる」ということへの否定を否定し、それへの批判者が「パクられて被害を受ける」ということを想定して反論すると、議論が噛み合わない)
「殺人はイケナイこと」「パクリはイケナイこと」というのが一次的なもので、少数ケースで「たまに悪くないかもしれないこともあるけど」があっても、それが一次的な「イケナイこと」を凌駕することはない。それでもイケナイことのメリットを謳うなら、HxHのNGLみたいな国に移住しろよ、と。
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
HxHのNGL自治国って、たしかいちおう「機械を捨て自然を尊重して伝染病も『自然のままに』する国」だから、イケナイことのデメリットを無視しようとするなら、究極、「もうそういう非法治国家つくってイ(漢字変換はお好きに)っちゃいなよ、YOU!」と思ってしまう。
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
あとあれだよね、「殺人はなぜいけないの?」というのは、刹那主義の過程のひとつじゃないかな、と。歴史を見れば、「人が死ぬと悲しみが増える」という不文律があるので、歴史を見ずに今だけを見る刹那主義はその疑問に辿り着く。たぶん実際に身近な人が殺されない限り、実感は湧きゃしないしさ。
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
仮にFPSとかのチートで、「なぜチートはいけないの?」って問題を立ててみると「お前が『俺強え』することへの個人的な憤怒より、ゲームバランスが崩れたり、そのゲームやめる人が出たり、ゲーム自体がクソゲ扱いされたり、ひいてはFPS嫌いになる人が増える虚しさのほうがずっと大きい」と思う。
— MonoCarky (@MonoCarky) 2014, 9月 4
自己対話的なものなので、やや話が右往左往しているのは容赦ねがいたい。
1-1.「パクリ=絶対ダメ」は思考停止。
1-2.「法律違反だからいけない」は幼稚な意見。
2.著作権者の利益になるパクリもある。
2-1.「ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。」
イケダハヤトさんは「パクられても平気」って言うけど、
単純に貴方の著作物にはパクる価値が無いから不利益を被るような被害に遭ってないだけなのよ。
2-2.パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題。
2-3.「あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。」
2-4.「コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。」
2-4-1.「パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。」
2-4-2.「コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。」
3.外部の人間がどうこう言う話ではない。
総括
「例えば道端でひったくりがあったとするじゃん?それがOKかNGかって言うとそれってひったくられた人本人が決める事じゃん?ひょっとしたら処分に困ってたウンコを盗まれて喜んでるかも知れないし」こういう事を言う人が居たら純度100パーセントのアホだよね?
前述の剛くんのケースみたいに、価値のあるコンテンツを生み出せる人は、それこそ雨後の筍みたいにボッコボコぱくられるわけですよ。もちろん周りの人達は剛くんに「パクられてますよ!」って教えてくれてるし、剛くんもそこで通報したりとなんだかんだ対応するけど、まったくもって追い付かないレベルで現れるんだって。
2→□→6→8→10
827 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:36:49.37 id:jO6QJfut0
2→□→6→8→10
□に入る数字は?
文系:4
理系:決定できない
832 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:39:54.22 id:uwqug4Yv0
2→□→6→8→10→12
なら4で良いんだけどな
843 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 00:58:19.22 ID:2XzBVuX+0
»827ってなんで決定できないの?
859 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:07:49.61 ID:V/dzQsUzO
»843
y=(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x
という4次方程式がある。
この時、Xを1、2、3、4、5をそれぞれ代入した時、yの値はどうなるか?
みたいな問題の場合は4ではなく-2になる
861 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:08:55.95 id:o13Gzkpu0
»859
感動した
865 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/25(日) 01:12:16.37 id:dxICRPrN0
»859
具体例wwwwwwww乙wwwwwww
(http://monocarky.tumblr.com/post/75011673560/827-vip-2010-07-25)
この式、なんとなくタネが見えた。
最初の
2→□→6→8→10
は変形させると、
x=1のとき、y=2,
x=2のとき、y=?,
x=3のとき、y=6,
x=4のとき、y=8,
x=5のとき、y=10
ということだよね。
そこで当の式の右辺をみてみる。
(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x
実際にxに数を代入すると、
x=1のとき、
y=0*(-2)*(-3)*(-4)+2
=0+2
よってy=2
x=3のとき、
y=2*0*(-1)*(-2)+6
=0+6
よってy=6
x=4のとき、
y=3*1*0*(-1)+8
=0+8
よってy=8
x=5のとき、
y=4*2*1*0+10
=0+10
よってy=10
ここまで見れば、気づく人もいるだろう。
上の実際に代入した結果の要所をまとめると、
x=1のとき、y=0+2
x=3のとき、y=0+6
x=4のとき、y=0+8
x=5のとき、y=0+10
であり、式の右辺 (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x は2つに分割できる。
すなわち
(x-1)(x-3)(x-4)(x-5) ……仮にαと呼ぶ
2x ……仮にβと呼ぶ。
である。
こうすると右辺は α+β と表記できるが、
xに1,3,4,5を代入したとき、いずれもα=0となり、
βの箇所だけが計算結果として残留する。
しかしx=2を代入すると、
y=(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x
=1*(-1)*(-2)*(-3)+4
=-6+4
=-2
となる。
この場合は、αである (x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x が、0になって消えることがない。
この式は当初 2→□→6→8→10 を、低い順に偶数を並べたものだと思わせ、
伏せ字部分に2を入れるようミスリードした問題だった。
偶数の 2,4,6,8,10…… と続く数字は y=2x で表せる。
つまりこれがβの 2x である。
伏せ字にされていない箇所を 2x の式、つまり偶数の配列にしておきつつ、
伏せ字にしてあるx=2のときだけ 2x にならない式をつくる「一例」が、
(x-1)(x-3)(x-4)(x-5)+2x
ということなんだろう。
αである (x-1)(x-3)(x-4)(x-5) は、どれも掛け算なので、
カッコのなかのどこかが0になれば、いつでもαは0になる。
これを応用すると、別の問題も簡単につくれる。
1, 2, □, 4, 5, 6, 7
短絡的に考えるなら、伏せ字の□部分は3が入ると考えるだろう。
だが、
y=(x-1)(x-2)(x-4)(x-5)(x-6)(x-7)+x
これでひっかけ問題がつくれる。
x=3のとき、
y=2*1*(-1)*(-2)*(-3)*(-4)+3
=48+3
=51
と、ぜんぜん脈絡のない数字がポンと出てくる。
こういった式のつくりかたをみてみると、
最初の引用文にあった文系・理系の分類はたいしてあてにならず、
「ひっかけとしてこしらえられた式があると事前に知っているか否か」ぐらいに過ぎない。
ちなみに、膨大な式だってつくれる。
100, 81, 64, 49, 36, 25, 16, 9, 4, 1, □, 1, 4, 9, 16, 25, 36, 49, 64, 81, 100
この並びで、伏せ字部分を欺くには、
y=x(x-1)(x-2)(x-3)(x-4)(x-5)(x-6)(x-7)(x-8)(x-9)(x-11)(x-12)(x-13)(x-14)(x-15)(x-16)(x-17)(x-18)(x-19)(x-20)+(x^2-20x+100)
という式でいい。
ちなみにx=10のとき y=1316818944000 というヘンテコな数が出てくる。
(Googleさんで計算してみたら、「1.3168189e+12」なんて数が出てきたので、地道な手打ちで計算しました。ミスあったらすんません)
こんな感じで、穴埋め問題にしておきながら大方の予想をくつがえす答えを用意することは、難しくはないし、理論上どこまでも大きくできる。最大の難問は「どこまで余白を用意できるか」であるだけで。
それを「文系はわからない、理系はわかる」という結論にミスリードするのは荒唐無稽。
引用元のまとめブログは流し見したが、あんまり煽りの意味もないのにね。
結論が 煽りというのは下らないよ。
つれ
未来を耕すと文化になる
cultivate + future = culture
(http://monocarky.tumblr.com/post/74548008619/cultivate-future-culture)
なにもfutureである必要がない。
nature(自然)でもpicture(絵)でもいい。
お好きなものを、as you like。
実名・匿名と責任
いささか古いポストだが、こんなquoteが流れてきた。
・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。
・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活と容易に結び付けられる発言をしている人、そうでない人、それぞれ実名匿名のリスクは異なる。
・つまり、「実名か匿名か」という問題は議論の本質ではない。実名であっても無責任な発言をする人はいるし、匿名であっても失うものを持ち、責任ある発言をしている人はいる。
・匿名性と「無責任な発言」というものが無条件に結び付けられる土台、というものがどこかにあると思う。
・で、その土台を形成した主要な要因は、多分古き2ちゃんねるに代表される、匿名掲示板に対するイメージだと思う。ネットといえば2ちゃん、2ちゃんといえば匿名での無責任な書き込み、というような連想が残留している人は多分いて、そういう人にとっては未だに「匿名であること」が攻撃対象になる。(これは飽くまで構図であって、実際に2ちゃんを意識しているかどうかとはあんまり関係がない)
・ただ、「2ちゃん的なあり方」というのはもうかなり前からWebの主要なシーンではなくなってきていて、「実名/匿名」という軸と「責任/無責任」という軸は、ソーシャルメディアの発展と共にとうの昔に分離していると思える。
・端的にいうと、「2ちゃん的なもの」ニアリイコール「匿名性と無責任な発言の結合」というものがネットの象徴である時代は、とうの昔に終わった。匿名性がWebの最大の特徴であった時代は、既に終わった。
・名前というのはネット上の人格の数ある属性の一つでしかなく、実名だろうと匿名だろうとたいして関係はない。リスクがあるという意味では、一般人の実名が露見するよりも、使用している複数のWebサービスのIDや位置情報、住所等が横断的にバれた方がよほどリスクがでかい。
・上記の諸々とは別に、「実名で過ごすメリットデメリット、匿名で過ごすメリットデメリット」というのは勿論あると思う。ただそれは、批判するしないの話ではなく、単にどちらを選択するか、というだけの話だ。
あれ、言いたいことを大体言ってしまったぞ。
一言で私の感じた違和感をまとめてしまうと、「一体いつまで「2ちゃん的なもの」を匿名の象徴みたいに考えてるんだ」ということ、だと思う。批判するなら無責任な発言の方であって、匿名性ではないだろう、と。
(http://monocarky.tumblr.com/post/73528201083)
(元記事:今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城)
元記事のタイトルにあるように、ネットでの実名/匿名というものに関する話題なのだが、妙にしっくりこなかったので。
考えをまとめてしまうと、もう、ひとつの文だけで終わってしまった。
「責任をどう追及するかではなく、どう帰着させるか」
要は「実名だから発言の責任を問いやすい、匿名だから問いにくい」というところではなく、「実名だとリアルの生活に繋がってるので責任を当人に帰着させやすい、匿名だと逃げられるから責任を帰着させにくい」というところなんでないの、と。
これは元記事の『実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。』をちょっと概念上げて批判した意見であり、かつ『「実名か匿名か」という問題は議論の本質ではない』を踏襲させてもらった意見でもある。
実は論旨である「匿名/実名」というものもさりながら、書き出しの『「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった』という文が気になった。
うん、これって煽りだよね。
おそらく俺の見地でしかないが、こういうのは「時代が終わった」というほど一時代を築いていない。こういうのは「オワコン」と同じで、「俺が終わりを宣言してやったぜ」という快感とことによると「お前らまだこんなこと気づいてなかったの?」という見下ろす視点がありそうでさ。
時代に似た言葉をとりいれるなら、「次の世代に移った」とかさ。「○○は終わった」よりも「次は□□」のほうが建設的でしょ。
まあアレだ、揚げ足取りに見えるなら無視しておくれ。
ともかく、そういうのをあえて踏まえて私見を述べると、もうすでに「責任を正しく追及する」という時期ではなく、「責任を巧く負わせた者勝ち」というルールに発展してきてると思う(というかそもそもそんな時期・時代はあったんだろうか?)。
顕著なのが、Twitterでの軽犯罪者叩き。Twitterはバカ発見器といわれてるが、その「バカ」を発見して叩く、すなわち罪の軽重にかかわらず責めれば勝ち、ちなみに罪は罪で責任はお前にあるので叩かれるのを批判する権利はない、といった具合に。
もっといえば、Twitterでのバカ叩きも古い。すでに次のステージに移ってる可能性は大いにあるのだけれどね。
形容されていない未来
これだけは覚えておきなさい。
何もかも失ったと思える瞬間でさえ、
あなたの未来は残っているということを。
(ボブ・ガダード アメリカの作家)
dsbdに流れてきたポストから。
(http://monocarky.tumblr.com/post/72732670799)
なんかアメリカ人らしいな、と思う文章だけど、これを信じる人は、手塚治虫の「火の鳥 望郷編」を読んでなお同じことを信じられる人だけが語っていいと思う。孤独な惑星で夫が死んでしまった未亡人が、自分の息子と、ひいては孫と子供をつくっていくって話ね。上の文の「あなたの未来」には「あなたの」以外に形容している言葉がないけど、それがどんな悲惨なものであれ、まあ未来は未来だよね、っていう。
核で人類のほとんどが死滅して、生き残ったのはあなたと、後は見るも無残な容姿と性格の異性ひとりずつだけだったとき、それでもその未来を、「未来が残っている」と認識できる人だけ、ってね。
ちなみに「ボブ・ガダード アメリカの作家」の言葉とされているけど、軽くググってみると、どうやらロケット研究者の「ロバート・ハッチングズ・ゴダード」ではないかしらん、という疑いがありますよん。
(以下、ググった道順。 )
これだけは覚えておきなさい。
何もかも失ったと思える瞬間でさえ、
あなたの未来は残っているということを。
(ボブ・ガダード アメリカの作家)
(http://monocarky.tumblr.com/post/72732670799)
ググってみると、以下の文が出てきた。
これだけは、覚えておきなさい。
何もかも失ったと思える瞬間でさえ、
あなたの未来は残っているということを。
(英語)
Just remember -
when you think all is lost,
the future remains.
(ボブ・ガダード)
この英文をさらにググると、英語ページだけどこんなのが。
“Just remember - when you think all is lost, the future remains”
Dr. Robert H. Goddard quotes (American rocket engineer 1882-1945)
(Dr. Robert H. Goddard quotes)
上の「Dr. Robert H. Goddard」という人名でググると、
英語のwikipediaの項目に辿り着き、そこから日本語へ行ける。
ちなみにロバート・ゴダード(Robert Goddard)という氏名で、名の知れた人は何人かいるようで、英語のwikipediaに曖昧さ回避のページがあった(Robert Goddard (disambiguation) - Wikipedia)。
例の「Just remember」から始まる英文でググったときに出てくるページをいろいろ見てみると、多くが「Robert H. Goddard」となっている。推理小説家のロバート・ゴダードはいるものの、「Robert Francis Goddard」という名前のよう(ロバート・ゴダード (作家) - Wikipedia)なので、HではなくFになってしまう。同じロバート・ゴダードに、「Robert Hutchings Goddard」というロケット研究者がいる。ページによっては、「American rocket engineer 1882-1945」と書いてあり、アメリカのロケット研究者である記述がみられる。ググるだけなら「Anonymous(詠み人知らず)」や「B. Goddard」というものも見つけられる(参照)。最初のポストの「ボブ・ガダード」のように「B」の「ロバート・ゴダード」は、曖昧さ回避のページにも掲載がなく、よくわからなかった。暫定的には「ロバート・ハッチングズ・ゴダード」の句だと思われるが、可能性にすぎないやね。
という辿り方でしたとさ。
■
※ただしイケメンに限る
↑
この定型文本当に嫌い
全てを顔のせいにして逃げてるだけ
「結局、顔かよ~」←どうして中身ではオマエが勝ってることになってんだって話
(http://monocarky.tumblr.com/post/71703502533/184-2011-11-11-19-37-05-94)
まとめブログからの引用のポスト。元のブログ記事は削除されている。
俺はこの「イケメンに限る」というのは、単純に分類のための条件づけでしかないと思っている。
すなわち水面である。その水面(イケメンに限る)より上は空(イケメン)でありそれより下は海中(非イケメン)である、というだけの。(水面に譬えてるだけに池面ってか)
上の発言では、さらに「(顔は)非イケメンだが、中身は優秀」というパターンを抜き出している。こうなると実際には4パターンあって
①顔はイケメンで、中身も優秀。
②顔はイケメンで、中身は残念。
③顔は非イケメン、中身は優秀。
④顔は非イケメン、中身も残念。
という分類があるはずなのだけれど、この発言からは①+②というイケメン属性だけの存在と、③の存在とだけが抜き出されていて、④の存在が無視されている。
敢えていうなら、俺は④に該当する。顔は無残であり、中身は推して知るべし。なにせはてななんかで書いてるんだから。
ともかく④である存在はこうして、ちゃんといるのだから、無視するのはいくない。
「イケメンに限る」というのは、「イケメン」と「非イケメン」 とに上下2分にするだけだとすれば、「中身」について言及するというのは、左右に2分するようなものだろう。
①┃②
━╋━ ←水面
③┃④
こんな具合だろうか。
さて、「イケメンに限る」という言葉は、この水面云々のたとえにおいては、「水面より上の空に限定される」ということだ。実際にはこの条件づけは、①からでも②からでも③からでも④からでもできる。ただもともとのイケメン云々での用法として、③ないし④の「程度の低いヤツが自分を謙遜していうほうがおもしろい」という場合がもっともレトリックとして含蓄が多くなるということはいえる。いわば「水中の魚が空の鳥を見上げて羨ましがってら、ばっかでえ」という笑いだね。逆にいえばイケメンが「ただしイケメンに限る」といったところで、「だからぁ?」と間抜けづらで返されるだけだ。むしろ嫌味になる。
そこで最初の発言「どうして中身は優秀だってことになってんだよ」という話なんだけれど、実のところ俺はこの「ただしイケメンに限る」という発言・ネタについて、「イケメンは顔がいいだけだけど、顔が悪い俺(たち)って実は性格イイんだもんね」なんて臭いは一度も嗅いだことがない。だからこそ、「え、顔がイイ悪いで条件づけしてるだけなのに、いつのまに中身のことまで条件づけしてることになってるの?」という疑問から、「それって深読みしすぎでは?」と思った次第でありまして。
とはいってみても、なんだかんだで③の「俺実は中身はイイから」と思ってる人はいくらかはいるだろう。0ではない。どれくらいかはわからないにしても。いってしまえば、上の引用元の発言をした人は、それまでの数多のネット書き込みからそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーという能力を有していて、それに対して俺はそういう意図を嗅ぎ取るリテラシーに欠けていたといえる。そもそもそういう糞(フン)のようなくさい情報があったのかはわからないが、そういう臭いを感じてしまう鼻をもつ人にとってはその糞はあるのだろう。
もしそういう糞があったとして、その分析は社会学者的な人や、それになりきれずにネットで右往左往してる人に任せるとする。俺にはそこまでわかりません。ただ俺はそういう臭さを感じることはなかった、とはいいたくて。
■
ネットで他人の批判ばかりしている人は、生活が充実してないとか、バカの一つ覚えみたいなことばかり書いていて、そうやって自己防衛してるんだねーと思いました
(http://monocarky.tumblr.com/post/71701480687)
「ネットで他人の批判をしている人は○○である」という発言は、その発言自体が批判と捉えられうるので、「ネットで他人の批判している人は○○である。発言者である私を含めて」という意になるんじゃないかな、ネットで発言する限りは。
あと自己防衛という言葉は、誇大解釈すればなんにでも適用できちゃう危険性が。「あの人は、自分の生活を守るという自己防衛のために動いている」といえば、誰に対してでもネガキャンできるっぽいんだよね。
あのマンガを読むのも、あのアニメを見るのも、あのゲームで遊ぶのも、あの動画を見るのも、あのブログを見るのも、ぜんぶ自分の価値観を守るっていう自己防衛のためなんでしょ? こういうのは「いや、そうじゃないよ」って拒絶する側が「じゃ証明してみせてよ」と言われて苦心させられる悪魔の証明みたいなもんだし。
「あ、あいつ自己防衛してるな」と自分が考えたときは、もしかすると思考停止して相手をおとしめて自己保身に走っている可能性を危惧しないといけないかもしれないね。
ちなみにこの俺の発言は、ネット上でなされており、かつ批判だと明言するものであり、かつ俺自身の自己防衛・自己保身のためで”ない”という証明がなく、またその証明に労力をさくつもりがないことを明示しておく。
(というかそもそも批判と否定と中傷とを明確に使い分けられてる人って少ないよね)